他視点でものを見る
夏休みが終わり通常の出勤が始まって一週間。
休み中は朝遅くまで寝ていたもんですからそろそろ朝早く送るのが辛くなってきました。
休みでも規則正しい生活をしないとだめですね。
最近コンスタントに過去世リーディングの依頼がありますが
やはりこれはnoteに過去世のお話を書いているおかげでしょうか。
なので張り切ってnoteに記事を書いていこうと思いますが、
いかんせん文才が。
実は書きたいお話が一つあるのですが、
イメージとしてはとても美しい情景になるのがわかっています。
ですがそれを上手に伝える文を書ける自信がない。
このお話は流れるような美しい風景でこれはお知らせしたい!というお話なのですが
最初の一文も思いつかない。
う~これはまだ描くなということなのか、でもNHKの特集で撮影できそうな話なんだけどなあ
と歯ぎしりして書くのを躊躇しているお話なんです。
と、ここまで書いていてそう思っているのは自分だけで意外と他の人には退屈な話かもしれないとふと思いました。
自分と他人の興味の方向・視点は人それぞれだということを頭の隅に置いといておかなければならないのですが、忘れがちになってしまいますね。
これは過去世だけでなくその他のいろいろなことについても共通することですが。
自分が興味あるからといって他の人が興味あるとは限らないわけですし、
何事も一歩引いた観点で物事を見なくてはいけませんね。
過去世リーディングはココナラに出品しております。
ヒプノセラピーや過去世リーディングで知ることができた過去世をnoteの方に過去世を小説風にして書いています。
そちらも興味がある方はお読みください。
感想などもどしどしお寄せください。
時代の流れ
明日からお仕事という人も多いのではないでしょうか?
私もそうですが、朝起きることができるのかそれが心配です。
今はコロナ禍ということもあり、新しい生活への過渡期のような感じですが
久しぶりに行ったお店でびっくりしたことがありました。
飲食店でテイクアウトを頼もうといつもは直接お店に行って注文してたのですが
今回はネットで予約をしてからお店に行きました。
そして会計でお金を払うとき、現金でいいかと思いトレイにお金を置こうとしたら
お金は自分で機会に挿入するしシステムに代わっていました。
スーパーとかならわかるんですが飲食店も今はこれなのかとちょっと驚きました。
極力店員さんと距離が近づかないようなシステムに代わっているスピードに驚きました。
状況に素早く対応していかないとやはり乗り切れないのだなと感じました。
これからは仕事場に行くというのは減っていくのはもう確定だなと、すべての業種とはいかないですが増えていくのでしょう。
この夏、牛丼屋さんで時代の流れを感じました。
過去世リーディングはココナラに出品しております。
ヒプノセラピーや過去世リーディングで知ることができた過去世をnoteの方に過去世を小説風にして書いています。
そちらも興味がある方はお読みください。
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扉の先には
暑い日々が続きますが皆さまにはいかがおすごしでしょうか?
今日は特に40℃に届きそうな温度ですが、日本だけでなく全世界で気温が上昇しているのでしょうか。
地球温暖化ということをつくづく考えてしまいますね。
私が小学生のころ(もうウン十年前の話ですが)35℃になる日はそんなになかったような記憶が。
なんか暑さの質が変わってきている感じがします。
実はnoteでの過去世の物語のほかにオリジナルで小説を書いているのですが
書き始めてもうスランプに陥りました。
大まかな流れはできているのですが筆が止まっている状態です。
これが生みの苦しみというやつなのでしょうか?
若いころは漫画家になりたかったのですが、そこまでの才能は無く。
というか、描いてもいなかったなあと今思えば本気だったのかと若かりし日の自分に行ってみたい気がします。
誰にでもいえることですが、若いころと今とでは描き方がだいぶ違うんだろうなと思います。
青春時代に読んだ本を今読み返してみたら、主人公に対する見方がだいぶ変わっていたことがありました。
依然読んだときは主人公がとても大人に見えましたが、最近読み返したらなんか主人公がとても子供っぽく感じました。
これは自分がいろいろな経験をしてきたものの見方に変化があったんだと今までの自分は気づいていなかったけれど、人は変わっていくんだなと感じました。
自分では変わってはいないと思っていましたが、否応なく変化していくのだとなんとなく物悲しいような気持ちになりました。
上記の話は自分が好むとも好まざるに関わらず変化していく話ですが、自分の意志で変わることもあります。
仕事とか生き方とかなどなど。
特に仕事はわかりやすいですが、好きなことにチャレンジするために現在の仕事を辞めるとか、その反対で好きなことをしているんだけど生活していけないのであきらめるなど。
特に好きなことをあきらめるという方はもうなにもかも周りがふさがってしまっているような感じがして絶望感とか才能のなさを感じたりしてしまいますが、ただ単にそれは違う扉が開いているということだとその扉の先の道はまた望む道につながっているのだと思っています。
過去世リーディングはココナラに出品しております。
ヒプノセラピーや過去世リーディングで知ることができた過去世をnoteの方に過去世を小説風にして書いています。
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思考の癖
ココナラやHPの自己紹介文を見てふと感じました。
なんか、否定形が多いなあ。
~ではありません。~はできません。
という形が続いてたりして、しかも文頭の方に書いてあるものも。
初めて読んだ人にはなんかあんまりよくない印象だよねえ。
と、思いました。
上から目線で話されているような感じがするような気がする。
自分で書いていて今頃気づいたのかといわれそうですが、
はっきり言って今まで気づいていませんでした。
なんか怒られそうで依頼する人もちょっと委縮しちゃうよ。
とは感じたので直そうとしましたが、
いい文章が思い浮かばない。
これは常日頃否定的な話し方・考え方をしているから無意識のうちにそのような書き方になってしまったのだと感じました。
自己啓発やスピリチュアルなどの
ポジティブシンキング
ができないのはこの常日頃のネガティブ思考が当然のように根を張っていて
そのことに気づいていないからなのではないでしょうか。
自分はネガティブ思考ではないと仮にあっても重いものではないと思っていても
実際はとても根が深く蜘蛛の巣のようにありとあらゆるところに張り巡らされている
ものではないでしょうか。
自分では気づかなかったけれど、
(実際は自分はネガティブ思考だとは思ってはいましたが)
まさかここまで否定的な思考をしているとは思ってもみませんでした。
何でもいいので書き出してみると自分の思考の癖がわかるので気になった方は試してみてください。
自己紹介文でも説明文でも小説でも何でも構いません。
あとから見直してみると新しい発見があるかもしれません。
過去世リーディングはココナラに出品しております。
ヒプノセラピーや過去世リーディングで知ることができた過去世をnoteの方に過去世を小説風にして書いています。
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過去世を知る理由
一気に暑くなりましたね。
今年は体調管理に特に気を付けなくてはいけないですから体力も気力も使います。
去年のアメブロで書いていますが
過去世に興味ない人は全く興味ないわけで
信じていない人からすると『過去世などあるわけない』のですが
信じている人の中にもちょっとあれっという人はいます。
詳しくは割愛しますが、私のリーディングは過去世を数件簡潔に報告するものであまり詳しい人生をお知らせするというものではないんです。
で、その報告の中にとても関心があるものがあったのでしょう、その一つの過去世に執拗に食いついてくる、という人がいました。
私的には報告した数個の過去世をまんべんなく関心を持ってもらいたいという気持ちもありますが、気に入った過去世にのめりこむというのはどうかと。
クローズ後にその過去世について質問してくるのは構わないのですが、その回数も文章の書き方も最後の方は乱暴に脅迫めいたものとなった方がいました。
ココナラはクローズ後は3日までメッセージのやり取りができるので(その後はダイレクトメッセージになる。)期限が決まっているので安心できるところがメリットで使い続けています。
(あまりにひどい人はブロックできるのでそこも安心です。)
直接やり取りとなるとそういう出品者に対しての安全策がないので仲介するところは必要だなと思います。
話がずれましたが、過去世に対して異常な期待感は持たないほうがいいです。
この先生のこの過去世の結果は間違っている。だから今度は違う先生に見てもらう。
と、占いジプシーのようになってしまっては何のために過去世を見てもらうのか本末転倒になってしまうのではないでしょうか。
私も数人の先生に見てもらいましたが、どの先生の結果も自分の過去世として認識しています。
何人かの先生に見てもらうのは結構ですがそれがもう執念のようになって期間を置かずに何人もの先生を渡り歩いて自分の望む過去世を言われるまでは次から次へと依頼する、というのでは過去世を見てもらう意味はあるのでしょうか?
何のために過去世を見てもらうのか、自分の望む結果が欲しいからというのは過去世を侮辱しているのではないでしょうか、と私は思っています。
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新たな疑問
NOTEに過去世の物語を書いています。
最新のお話は
「ひそかに笑う」
です。
このお話を書いているとき、実は私も笑いたくなったんです。
燃えている炎の前で大笑いしたいような感じになりました。
現在大河ドラマは中断していますが、主人公の人もきっと同じ気持ちだったのではないでしょうか。(勝手に断言)
過去世リーディングをしているとき、
私は傍観者のような感じで人生を見ているのですが
気持ちは同化している感じというのでしょうか、結構感情は感じることがあります。
完全に同化しているわけではなくなんとなくですが、
それでもなんとなく嬉しかったり意地でも表情に出さないという強い気持ちや
「ひそかに笑う」のように大笑いしたい感情などいろいろ感じることがあります。
まるっきり感情が動かされないという人もたまにいます。
本当に何も感じないんですね。
目の前で何が起こっても。
現在のその人が感情が動かされない人ではなく
(むしろ感情豊かだからこそ過去世リーディングを申し込まれるのであって。)
そういう時はその過去世の人物にヒプノセラピーを受けさせたいなあとちょっと思ってしまったり。
私が思っているだけで実際はそんなことはできませんが、でも過去世の人物にヒプノセラピーを受けさせたらどうなるのか、というかできるのかという疑問が湧きます。
できるのでしょうか?
新たな疑問がまた一つできてしまいました。
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過去世を知るということ
8月に入りましたが、例年とは違う気候ですね。
日中は暑くなりましたが、夜になると涼しくて熱帯夜にはならない感じで
夕方には日暮が鳴いていてもう秋のような感じでした。
気候変動のせいなんでしょうか?
最近の過去世リーディングの傾向として
近・現代が多い
というのがあります。
これはたまたまなのか私のリーディング能力によるものなのかはわかりませんが
何故か続いています。
やはり月日があまりたっていないほうが魂(便宜上こう呼びますが、リーディング先といったほうが近いかも。)での記録がくっきり残っているからなのでしょうか。
考古学と同じで古い遺物は砂や地面の下に埋もれてしまうからなのか、
よく
今生きるのに過去世は必要ないから人は覚えていないし思い出す必要もない
という人がいますが、私はちょっと違うと思います。
今はこういう生き方(A) をしているけど過去世では違う生き方(B) だった。けどどちらの生き方もしたくないから(C) という生き方をしよう
という風に考えることができるかもしれません。
ではどうやって(C) という生き方をするか。
こうだから(A) になっている。違う方法では(B) になった。なら角度を変えてみよう
という風に考える選択肢が増えるんじゃないかと思います。
なんとなくそう感じているだけで理想論のように聞こえるかもしれませんが、
私は生きる選択肢を増やす体験だと考えています。
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